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黒龍江

柳条湖事件の翌日に731部隊遺跡に行ったこと

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私が哈爾浜に行ったのは2006年の9月。以前の恋人の故郷を尋ねる旅だったので、そもそも暗い発想でした。彼女の出身大学を見たり、有名な中央大街を歩いたりしか予定がありませんでした。そこで、負の文化遺産で有名な731部隊遺跡にも立ち寄ってみました。暗い気分に加え重たい気分にもなりそうな場所です。

私は2006年9月20日に731部隊遺跡に行きました。哈爾浜駅前のホテルから少し歩いてバス停に行き、そこから部隊遺跡方面のバスに乗りました。街の掲示板にはいたるところに抗日戦争を述べた新聞が貼られてあります。前日にはなかったのに何故でしょう…。

侵華日軍第七三一部隊遺址

侵華日軍第七三一部隊遺址

731部隊遺跡は中文を日本漢字で表わすと「侵華日軍第七三一部隊遺址」。現在では「侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館」の呼称が定着しています。

遺跡では展示物や建物や周辺の草むらを見ました。館内の人に日本人だと伝えたところ、普段は一般公開していないエリアも見せてあげようということで、あちこち連れて行ってもらいました。これはラッキーでした。

建物には化学実験の後のような不気味な色彩の染み込んだ壁が印象に残っています。とても壮絶な科学実験が行なわれていたことを想像しました。

他方で、煙突の内側の幻想的な色合いやネズミの実験室の窓に入る日差しが映し出す陰影などをみると、これらの建物の経緯を知らなければ幻想的でやや魅惑されるような独特な雰囲気があります。

しかし忘れてはなりません。日本の広島でもそうですが、化学物質が染み込んだ土壌には長期間も植物は育たないと言われています。しかし、731の花が示すのは植物の強さと微かな未来への希望です。

一通り見終わり、非常にショッキングで涙ぐんだまま館内の土産物屋さんに行きました。スタッフ女性が簡単に日本語で慰めてくれて私は少し癒されました。

その癒やされた気分のまま私は思わず、731に関する写真集や研究書やパンフレットなどを日本円で8000円分も買ってしまいました。後でパラパラと読み直せば概ね似たような内容になっていて苦笑いでした。

2006年9月の黒龍江省の旅で買った図書の一部が下の画像です。ロシア・ロマノフ朝の残したものと日本帝国の残したものを比べると映え具合がかなり異なってきます。

哈爾浜駅前ホテルの女性スタッフたちとの会話

その後バスに乗って哈爾浜駅前のホテルに戻りました。9月20日は当然9月19日の翌日です。9月19日は柳条湖事件が起きた日でした。当時の私は柳条湖事件の名前しか知りませんでした。

柳条湖事件の起きた翌日に私は731部隊遺跡に行ったわけです。哈爾浜駅前ホテルの女性スタッフたち5人は、いま私が731遺跡からの帰りだと英語で伝えると、よく生きて帰ってきたなと英語で冗談を返してきました。この一連のやりとりがとても懐かしいです。

柳条湖事件の翌日に731部隊遺跡に行ったこと

冒頭にも書きましたように、私が731遺跡(侵華日軍第七三一部隊遺址)に行った9月20日は、朝から街の掲示板の至るところに反日記事が掲載されていました。

しかし、9月19日当日の新聞は(前日18日を記しますが)には反日の記事を全く見ませんでした。こなことをホテルのスタッフに話すと、919事件(柳条湖事件)は知っとけと指摘されました。誕生日の7月7日が日中戦争勃発だとつい覚えてしまっていて、私は919を忘れがちです。ですが、とくに東北地域の人たちにとっては、この事件は忘れられないものということを2020年に見たテレビドラマ「西安事変」で痛感しました。

そんなこともあって、9月20日に731部隊後に行ったのは女性スタッフたちからすれば、一人の日本人チャレンジャーがいたということになり、私も含めた6人は結局、仲睦まじく英語で談笑したわけです。

中国のことわざに《歴史は覚えていても恨みは持つな》という言葉があります。ホテルの女性スタッフたちは歴史を覚えていますが、それを目前の私に怒りや恨みとしてぶつけませんでした。しかも冗談を交えて会話してくれたのですから、中国の教育はとても丁寧で行き届いていて、彼女たち自身も冷静な判断や対応のできる能力を持っていると感服しました。

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