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私の大学院生10年間:膨大なメールや議論のやり取り

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私は大阪市立大学大学院経済学研究科に10年間在籍しました。

内訳は修士課程が3年間(留年1年)、博士課程が7年間(休学1年)です。

ついでに、学部は大阪府立大学経済学部で、8年間。一般教養1科目を落として満期退学しています。その辺の略歴はこちら

大学院進学まで

大学院志望の理由

私が大学院を志望したのは、世の中の本質を経済と歴史から捉えたいという妄想に縛られていたからです。また、定時出勤のサラリーマンになりたくなかったからです。

学問への関心

学問への関心は小学生の頃からありました。森本六爾という考古学の「鬼才」について、父方祖母や両親から開かされ続けたからです。

森本六爾は私からみて父方祖父の兄です。松本清張の短編集『或る「小倉日記」伝 傑作短編集1』(新潮文庫)の中に「断碑」の主人公「木村卓司」として登場しています。2019年7月6日にNHKドラマにも取りあげられました。

NHKドキュメンタリー – ETV特集「反骨の考古学者 ROKUJI」

また、私が森本六爾に関するプレッシャーで苦しんだ詳しい事情はこちらもお読みください。

私にとっての学問

このため、小さい頃から私にとって学問とは「誰かを目指す」ことであり、「何かを追求する」という姿勢に欠けていたため、大学院ではテーマ設定に苦労しました。

私の大学院生10年間:膨大なメールと議論のやり取り

前期博士課程(修土課程)、後期博士課程、合わせて10年もの間、私は大学院に籍を置いていました。通ったともいえますが、自宅勉強が多い。

当時の大学院での私の正式な所属名は、現代経済専攻(地域+グローバル経済研究分野)でしたが、主な専門分野は日本経済史、とくにミシンと衣服からみる経済史でした。

研究の始まりは、兵庫県姫路市で戦前の半世紀問営業をした藤本仕立店の分析ででした。

当時、姫路市史の編幕に携わっていた指導教官の紹介から藤本さんの資料に出会いました。

その後、ミシンの普及と衣服産業(アパレル産業)の展開について、日本を中心に調べました。毎年度末、学部生と同様に大学院生も研究報告書の類を提出する義務があり、毎年、10万字ほどの報告書を提出しました。

もともと、いろんな女性にその人のファッションを褒め倒すのが好きだったので、修士課程に入ってからファッションの歴史を勉強していました。

しかし、研究を進めるうちに、デザイン、服屋以外にも衣服を取り巻く事柄が多いことに気づきました。それは、パターン、裁断、縫製、そして縫製を支えるミシンなどの技術です。

今はこれらを徹底的に調べ、とくに欧州・米国・中国の衣服産業史にも関心を広けています。詰まるところ日本経済史は、国内動向や内在的な要因だけでは決して明らかにできないからです。

台風のように喋る

私は人の話を聞くよりも人に語る方が好きなので、よく指導教官や同僚院生たちに、直接、あるいは電子メールで、若気の至り風の自論、自分の歴史紙観、経済論議を語りました。いろんな方に話を聞いてもらうことで頭が整理され、日々の研究は大きくはかどりました。

後期博士課程に進学するのは経済的負担が大きいです。

そのため、少々の条件を整える作業は必要ですが、一旦進学すれば世間の雑事を忘れ、何らかの本質を提まえようとする作業に没入できました。大学教育の大多数がハウツー本以下に成り下がった日本の現状においても、数年間にわたりいくつかの主題と、その内容や本質を提まえようと没入する大切さは変わっていません。

初出:大阪市立大学経済学研究科・経済学部「News Letter」第2号、2013年

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