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上海

帝国ナショナリズムの残響を拾って上海の金融街「外灘」を歩く

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外灘はモダン建築がずらりと並ぶおしゃれな街路です。上海で最も有名な観光地で、商業写真の撮影地としてもよく使われます。

上海開港の窓口となった外灘はからよく帝国、国家、ナショナリズムなどの言葉で説明されますが、これらの言葉を使うと説明できなくなるという矛盾に満ちています。これらの言葉を使った本は、まったく面白くありません。

ここでは、帝国ナショナリズムという言葉を使って、帝国主義とナショナリズム(国民主義)が不可分であったことを前提にする半面で、学問的な意味を無視しています。そして、上海の金融街である外灘を散歩しながら、一国・多国・自国・他国を人類が錯覚した時代をたどっていきます。

帝国ナショナリズムの残響を拾って上海の金融街「外灘」を歩く

上海外灘(バンド)の夜景。これを写すのは意外に難しいです。Panasonic DMC-FX01, ƒ/4.3, 1/8, 11.2mm, ISO 400.

現代は中国系銀行が中心

外灘は上海の黄浦江に沿って西側に広がる金融街です。中国系銀行や外国系銀行がずらりと並んでいます。いくつか写真を列挙します。

招商银行。OLYMPUS OPTICAL CO.,LTD u10D,S300D,u300D. ƒ/3.6, 1/10,0. 8.76mm, ISO 80.

上は招商银行。1987年4月に設立され、法人法務担当者が完全所有する中国初の全国共同株式商業銀行です。香港の国営企業である招商局集團画設立し、中国本土で6番目に大きな銀行になりました。2005年5月に撮影。

中信実業銀行。OLYMPUS OPTICAL CO.,LTD u10D,S300D,u300D, ƒ/3.1, 1/200, 5.8mm, ISO 80,

上は中信銀行(古称は中信実業銀行)。エンジ色のラインが目立つ和平飯店の1階に入居しています。中信銀行は1987年に創業し、2005年に中信実業銀行へ改称されました。北京に本社を置く中国の国立商業銀行の1つ。2005年5月に撮影。

中国工商银行。OLYMPUS OPTICAL CO.,LTD u10D,S300D,u300D. ƒ/3.1, 1/320, 5.8mm, ISO 80.

上は中国工商银行。この銀行は1984年1月1日に設立され、中国本土で5大国営商業銀行の1つに位置します。2005年5月に撮影。

中国農業銀行。OLYMPUS OPTICAL CO.,LTD u10D,S300D,u300D. ƒ/3.1, 1/100, 5.8mm, ISO 80.

上は中国農業銀行。1951年に開業したようです。2005年5月に撮影。

中国工商银行は1984年に開業、招商银行と中信銀行は1987年に開業していて、1990年に始まる浦東開発に少なからぬ助力を提供したと思います。

この頃の中国は若かったでしょうね。当時の上海に行ってみたかったです。

和平飯店から北側にはさらに数軒の中国系銀行が続きます。

過去の外国銀行

上海海关大楼。中国上海市黄浦区外灘中山東一路15号。OLYMPUS IMAGING CORP. E-PL6. ƒ/8, 1/200, 30mm, ISO 200

この写真も外灘の一部です。2016年8月に写しました。遠近の分かりずらい構図になりました。

手前中央の建物は上海税関ビル(江海関大楼)で、イギリスのパーマーアンドターナー事務所が設計し、1925年に着工し1927年に竣工しました。この建物はアジア最大といわれる時計を据え、上海で最も有名なランドマークの1つになっています。

その左にモスク屋根のような建物があります。建物は上海税関ビルと同じくパーマーアンドターナー事務所の設計によります。この建物は長らく香港上海銀行の上海支店として使われてきました。上海支店は1865年に開業。

この建物の現在は上海浦東発展銀行本店です。この銀行は1992年8月に中国人民银行の批准を経て設立され、翌年1月に開業しました。浦東新区の開発政策の支えとなった銀行です。

建物と中身企業を簡単に振り返ると、イギリス系銀行が多いことが分かります。

コスモポリタンな外灘

外灘は、19世紀中期の開港時に外国銀行の進出地域として機能し、周辺にイギリス、フランス、アメリカからの、清朝公式の外国人居留地ができました。その後、世界でも有数のコスモポリタン都市となり、1930年代には東洋のパリといわれました。別称や英語で「上海租界」や「The Bund」。

1990年代に浦東新区の開発が始まってからは、外灘一帯は浦西という古い市街地に一括できます。南京東路をはじめ、西側から外灘に通じる街路群によって、今でも活気に満ち溢れています。浦東開発以前の上海は外灘が東端だったので、それが語源かと思います。

黄浦江から外灘を望みます。Panasonic DMC-FX01, ƒ/3.5, 1/8, 7.5mm, ISO 400.

この写真は2013年3月に黄浦江の船に乗って周遊したときに外灘の一部を写したもの。真ん中に見える緑屋根は和平飯店(和平ホテル)北楼です。

バンド18号(The Bund 18)

外灘(上海)の1コマ─歴史の熱を冷ます涼しげな石版ですが、ビルの壁にはINDIAやAUSTRALIAの文字がうっすらと刻まれています。OLYMPUS OPTICAL CO.,LTD u10D,S300D,u300D. ƒ/3.1, 1/320m 5.8mm, ISO 80.

この写真は2005年5月に中山東一路18号で写したものです。写された文字そのままの住所なので覚える必要がありません。これも私のお気に入りの写真です。たった1枚で複雑な思いがするからです。

バンド18号の石版は外灘の1コマを端的に示します。上海の歴史の熱を冷ます涼しげな色合いですが、ビルの壁にはインディアやオーストラリアの文字がうっすらと刻まれています。

バンド18号は1923年に建設され、イギリス系の植民地銀行チャータード銀行が営業を始めました。なお、この銀行は1969年にスタンダード銀行と合併して、今ではスタンダード・チャータード銀行となっています。1955年にチャータード銀行が敷地外に移転してから、バンド18号はいろんな中国国営企業の事業所として使われました。1995年に上海市政府がバンド18号を市レベルの保護建築物に指定しました。

2002年に上海珩意实业有限公司が上海久事公司と契約を結び、建物の運営と保護・改修を行なう権利を取得して今に至ります。バンド18号は現在、レストランや娯楽店が入居した複合施設です。2006年にユネスコはアジア太平洋文化遺産保護賞の受賞者を発表し、バンド18号を優秀賞に決めました。建物の保護レベルと再活性レベルが際立っている点を高く評価したようです。

コスモポリタン都市と帝国ナショナリズム

中国上海の金融街である外灘の銀行建物を見てきました。上海または外灘はコスモポリタン都市にふさわしく、イギリスをはじめとする欧米列強が上海に経済進出を果たしたことが分かりました。

他方で欧米による多国籍性はさることながら、清朝や中華民国が多様性の一環を担って、自らもコスモポリタンさを支えていたことも分かりました。

帝国ナショナリズムは、清朝や中華民国がナショナリズムを起点として帝国性をもっていたことも分かります。それは欧米諸国が植民地ネットワークを広げるなかでナショナリズムを付随させていたと、要素は同じだと感じました。

また、近代から世界史を振り返れば、帝国ナショナリズムの衰退や帝国の崩壊が新中国の建設と軌を一にしていたことが分かります。中国の歴史は世界史において面白いポジションにあります。

上海消防栓

まとめにあたって、この数年間のマイブームとなってきた写真を紹介して今回の記事を締めようと思います。

グレーの舗装と建物を背景に赤く佇んでいるのは消防栓です。上海の外灘近くで写した給水栓です。給水栓の色とレンガ道路の色が対照的で好きな写真です。帝国ナショナリズムに翻弄されながらも、しっかりと大地に根差したことを示しているようで、この消防栓が私の新しい上海原風景になりそうです。

上海の外灘近くで写した消防栓です。給水栓の色とレンガ道路の色が対照的で好きな写真です。Sony 502SO, ƒ/2, 1/32, 4.23 mm, ISO 320.

この消防栓は上海の外灘から少し西側に入った所にあります。緯度的に福州路かその南北の横路地だったと思います。この写真を気に入っているので、場所を正確に控えておくべきでした。2017年8月25日に当時のスマホ「Sony 502SO」で撮影しました。

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