大学時代にやってほしいこと

上海外灘の思い出と収めてきた写真たち:中国旅行記

龍陽路地鉄站 海外旅行
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上海外灘の思い出と収めてきた写真たち:中国旅行記

私が上海によく旅をしてきたのは、道路の広さや人の大らかさや料理の美味しさに惹かれたからです。

また、街の持っている国際色豊な建造物や街路にも興味をもってきました。これこそモダンだと思える街が上海です。

これを一番よく示すのが外灘・バンドです。ここへ来るたびに私は昼夜を問わず、この金融街を撮し続けてきました。

このページでは、上海外灘の思い出と収めてきた写真たちをまとめています。

2004年

次の写真は私が中国で初めて写したものです。上海浦東国際空港からリニアモーターカーに乗って終点の龍陽路地鉄站で写しました。ここから私の中国旅行と上海旅行が始まりました。

龍陽路地鉄站

龍陽路地鉄站@2004.05.31

次の写真は2004年の11月に行った時のもので、南京東路から外灘を越えて東方明珠を望んでいます。

南京東路から外灘を越えて東方明珠を望んでいます。

上海南京东路外滩@2004/11/16

次の写真は翌月に行った時の外灘です。外灘から始まる路地ばかりを写していたので、外灘自体はこれしか写せていません…。おまけに、まだまだ撮影が下手くそです。

外灘から始まる路地ばかりを写していたので、外灘自体はこれしか写せていません…。おまけに、まだまだ撮影が下手くそです。

上海外滩@2004/12/16

2005年

外灘に強く関心をもったのは2005年からです。

以下の3枚は3月16日に写しました。いきなり夜景を写すという無謀ぶりです。画質が悪いうえにピントが合いません…。

いきなり夜景を写すという無謀ぶりです。画質が悪いうえにピントが合いません…。

上海外滩@2005/03/16

上海外滩@2005/03/16

上の写真は外灘を写しはじめた当時の一番のお気に入りです。ピンボケが夜の寒さを和らげてくれませんか…!?(言い訳)

この写真の右に位置する時計塔のついた建物は「上海海関大楼」。外灘で和平飯店並みに人気の高い建物です。江海関とも江海北関ともいいます。上海海関大楼は1857年に現在地に置かれ、現存するものは1927年に竣工されました。

この建物に入っている上海海関(税関)という組織はもともとは清朝期の康熙帝期に作られたもの。南京条約締結後の1846年に外国船への徴税事務を扱う税関として再出発しました。この上海税関は、上海に拠点を置く中国政府の出入国税関監督管理機関です。中国国家税関に属します。
上海海関の公式サイトはこちら。

次いで当時のもう1枚を紹介します。

上海南京東路@2005/03/16

南京東路から写しました。右に和平飯店南楼、左に東方明珠を写しています。

改めて見直すと、東方明珠の2つ目のボール状の階層にペプシのマークが重なっていて、独特の建物に見えます。

そして、5月24日。

上海外滩@2005/05/24

まだまだ重厚感のあるようには写せていません。道路を越えて写した方が良いのか、距離感も分かっていません。

それでも、この時に写した別の写真は、私のなかで外灘を偶像化させるのに最適な1枚になっています。それは次の写真です。

上海外灘の一角バンド18。私のなかで外灘を偶像化させるのに最適な1枚。

上海外滩@2005/05/24

この壁にはインドとオーストラリアの文字が見えます。

このバンド18に該当する建物は、2019年現在でショッピングモールになっています。この建物は1923年にイギリス系銀行チャータードバンクの上海支店として建設されました。インド支店もオーストラリア支店も存在したことを物語ります。

チャータード銀行自体は、1853年に設立されたイギリス政府特許の植民地銀行です。この建造物でに入っていた上海支店は1858年に設立されました。現在は円明園路185号に事務所があります。

この5月の後、私は9月・10月・11月と上海へ行きましたが、まだ南京東路の魅力に惹かれて、外灘を写した写真がありません。

今の南京東路は田舎者の集まりとチェーン店の乱立で、すっかり飽きてしまいましたが、当時はこの街の魅力が満開になっていて楽しい店もありました。たとえば次の写真です。

店内でたくさんのマネキンがカラフルにセーターを着ている。

上海南京東路@2005/11

とてもカラフルなセーターが並んでいます。マネキンの数に圧倒されて少しホラーがかっていますが、それも楽しいもんです。

小休止

私の上海への旅は、一旦ここで中断。当時つきあっていた恋人と別れたのが決定的な理由です。

2006年から2011年まで私は台湾へ旅行するようになりました。

私が再び中国へ旅行するようになったのは、今の妻と2012年に結婚して以後のことです。

2013年

次の写真は2013年3月に行った時の外灘で、そのうちの1枚は黄浦江の遊覧船から写したものです。

2013年3月に行った時の外灘です。

上海外滩@2013/03/02

2013年3月に行った時に黄浦江の遊覧船から写した外灘です。

上海外滩@2013/03/02

少し夜景の撮影が様になってきたと思いたいですが、まだまだピンボケ感が抜けていません…。

この時の旅行は、妻の故郷の雲南省昆明市に行った帰りでした。昆明市では妻の両親と初めてお会いして、数日間にわたり飲食や談笑を続けました。

雲南省は1年にわたり似た気候が続きます。これに対して上海は日本と同じ気候パターンですので寒く、翌朝から発熱してしまい、一日中ホテルのベッドで寝ていました。雲南省の気候は、慣れると抜群に過ごしやすいのですが、1回目は要注意。

2017年

この年は8月に2週間ほどの長期日程で旅行しました。妻の親戚たちの集まる昆明市で10日ほどにわたり滞在して、上海は3泊ほどでした。親戚の知人を頼りに浦東地域のホテルを取ってもらいました。

雨上がりの外灘。高揚する気持ちが少し和らいで落ち着きます。

上海外滩@2017/08/25

雨上がりの外灘。高揚する気持ちが少し和らいで落ち着きます。

上海外滩@2017/08/25

雨上がりの外灘。高揚する気持ちが少し和らいで落ち着きます。

この日は撮影日和とは思えませんが、外灘3号と横に入った路地でモデル撮影をしていました。

この日は撮影日和とは思えませんが、近くの2か所でモデル撮影をしていました。

上海外滩@2017/08/25

この日は撮影日和とは思えませんが、近くの2か所でモデル撮影をしていました。

上海外滩@2017/08/25

最後に上海市档案館。中山二路にあります。上海市の歴史に関するいろんな史料群が保管されています。閲覧や印刷ができる便利な史料館です。

上海市档案館。中山二路にあります。

中山二路にある上海市档案館@2017.8.25

下調べして2016年にも伺いましたが、必要書類が足らず入館できませんでした。パスポートだけでなく、中国内に勤務する大学教員の推薦書が必要とのことでした。下調べの段階で私は日本人で中国の大学に教員として勤務する方のブログを読んで、その文面どおりパスポートだけでOKと誤解してしまったんです(笑)。

そこで妻の従姉妹に推薦書を書いてもらって、2017年のこの写真時には無事に入館できて史料閲覧もしました。もちろん、膨大な史料群が眠っているので、これは何度も長期間に滞在して調査していく必要があります。必要はあるけど金がない…(笑)。

上海市档案館

上海市档案館は、1959年12月に設立されました。上海の档案情報資源を集中的に保管・調査・利用するための省レベルの国家総合档案館です。現在、約360万の書庫を持っています。

2004年4月23日、外灘風景区にある近代的な保護ビルの上海市档案館は社会に奉仕するための「窓口」として完成し、オープンしました。

上海市政府の公開情報、档案のレファレンス・センター、都市開発の歴史の展示窓口、共産党と青年同盟によって組織された活動拠点、未成年者の思想的・道徳的な育成のための第2教室、市民が档案文化を楽しむための余暇の場所となっています。

まとめ

このページでは、外灘という1カ所に絞って写してきたものを整理しました。忘れていたものを思い出せました。

2004年、私が中国ラブになり始めた頃は南京東路に興味がありました。そして東方明珠などの高層ビルや高層タワーの立ち並ぶ浦東地区を遠く望む写真をたくさん写していました。

2005年になると外灘に関心は向きますが、意識的にたくさん写すというほどではありません。そのあと私は中国へ行かなくなった8年ほどの間に、夜景の外灘の写真をネットでたくさん見るようになって、いつか私も写したいと思っていました。ただ、恋人との破局に引きずられていた時期でもあり、果たせない時期が続きました。詳しくはこちら

2012年に妻と結婚して以来、以前ほどのペースではありませんが中国旅行を再開しました。上海にもできるだけ立ち寄るようにしています。その時から外灘の夜景を意識的に写すようになりました。

この記事を読んでくださった方々の、外灘夜景の撮影意欲を喚起できれば幸いです。

トピック

遊民大学では海外旅行や海外留学を推進しています。こちらの記事もご参照ください。

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