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中国と私

奈良とは何ですか? 日本とはどこですか?

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このページでは「私とはどこですか? 西には何がありますか?」に述べたアイデンティティ喪失の原型となる奈良と日本の名称や位置を考えています。私にとってホームや故郷はどこかと問われると奈良県のなかでも橿原市だと応えます。しかし、年々、橿原市ではなく中国だと妄想することが増えてきました。

奈良とは何ですか?

私は、奈良県橿原市に生まれ、25年間ほど暮らしました。

奈良盆地の西側には、二上山をはじめとする古代神話に満ちた山々が南北に広がります。小さい頃から、西の山々を見てはその向こうを知りたくなりました。

私は自分のアイデンティティを考えるとき、奈良が鍵を握っていることは分かっていましたが、突破口がありませんでした。「奈良とは何か」を問うと必ず二つの回答や発想が出てきて、私は奈良を説明できません。たとえば、奈良盆地南部と北部に分かれる複数の古代都市、近つ飛鳥と遠つ飛鳥、畿内説と九州説の邪馬台国など。

奈良と唐

奈良盆地を一体として考えてみましょう。

女帝の持統天皇統治下で689年に施行された飛鳥浄御原令は、はじめて王朝名に「日本」を用いた法令です。この汪兆銘が国際舞台へ登場したのは13年後、702年のことでした。

奈良盆地南部から長安(現西安市)へ使者が派遣され、ちょうど王朝名を唐から周へと一時的に改めていた女帝の武即天から、王朝名日本の使用許可を倭は得ました。このとき日本の朝廷は橿原の藤原京にありました。

橿原市南端から明日香を見た図

当時のユーラシア大陸最強国家(つまり世界最強)だった唐が一時的な政治的動揺をしている隙間に、「日出づる処」を意味する大胆な王朝名を認めさせたわけです。当時の日本と中国の皇帝がともに女性であったという点が日中交流史からみると面白いですね。

確かに、中国大陸からみれば奈良は太陽の昇る場所ですが、奈良盆地からみれば太陽は三重県から昇ってきます。逆に、ハワイからみれば東アジアが「日没する処」にもなります。いうまでもなく、みる場所によって日本は日没の地ともなります。「日本」とは西の唐(中国)や天竺(インド)に対する自立意識の表現だったわけです。

奈良と京都、そしてシルクロード

それでは、京都市(京都府)と奈良を比べてみましょう。京都市は平安京が存在した場所です。奈良にあった古代都市のどれと比較しても、首都として機能した時間や天皇が居住した時間は平安京の方が圧倒的に長いです。

ここに、かつての私がそうであったように、奈良県民の一部が京都に対して健気で子供じみたコンプレックスをもつ原因があります。よく挙げられる例が修学旅行です。高校の修学旅行で京都に宿泊することはあっても、必ず奈良は日帰りでした。古代都市として、どれほど盆地北部が盆地南部よりも鹿と大仏(東大寺)で有名であっても、京都に比べれば日帰り程度の地位です。

日本とはどこですか?

私は小さい頃から、奈良盆地の西の山々を見てはその向こうを知りたかったです。

今なら理解できます。奈良の西には大阪があります。瀬戸内海を西進すれば、海を隔てて中国大陸があります。さらに西へ進み続ければ、中央アジアを越えヨーロッパに到達します。そのまま西進を続ければ、結局、奈良や大阪に戻ってきます。ただそれだけのことです。

ユーラシア大陸に限っていえば、このような繋がりは、とっくの昔から古代人がシルクロードとして実現させていたことでもあります。

他律的な王朝名や国号をもっているかぎり「日本とはどこですか?」という疑問は永遠に続きます。年を経るにつれ、日本を支える中国の方に私は魅力を感じるようになってきました。

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